2015年03月03日

円柱の図形が刻

読書好きだったのだろうか墓石そのものの形が、
本の形をしていたり、煙草のパッケージデザインをそのまま象った墓石もあった膠原自生

アルキメデスの墓もそんなところがあったようだ。
死後、百三十年あまりを経てキケロが墓地を訪ねて行ったことが記録されているreenex cps
キケロは、カエサルの時代の人物で、古代ローマの立法の専門家とされた人物。
そのキケロがシチリアに赴任していた頃に見つけ出したのが、
アルキメデスの墓。
苦心の末に見つけ出した墓碑には、
球に外接している円柱の図形が刻まれていたという。
アルキメデスの発見として、球に外接する円柱との表面積の比は、2:3となる、
という彼の理論。
アルキメデスには、大発見して喜びのあまり裸で飛び出したという黄金の密度の発見や
「アルキメデスの原理」などがあるが、
墓碑にしたところを見ると、その理論に意識があったのだろう。
彼には、アルキメディアンスクリューと呼ばれる螺旋の発見などもある。
螺旋として彼が発見したのは、正渦度と呼ばれる螺旋だが、
対数螺旋と呼ばれる形にも注目していたとある。
その対数螺旋と呼ばれる形は、オウムガイの中を割ったときに現れる形と言えば、
親しみを感じる人がいるかもしれないreenex cps

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2015年01月12日

おお、見よ

支は、12の動物として表わしているが、
その漢字は、動物を直接示す文字ではなく、
植物の生育に関連する言葉が宛てられているようだ。
これらの漢字は、「子(ね)」から始まり「亥(い)」で終わる。
もともと、「子」は種子を意味し、最後の「亥」は核を意味する。
つまるところ、すなわち種子。
これは、一粒の種子から始まり次世代の種子までを表現している生髮
「羊」に宛てられた「未」の文字は、八番目に出てくるが、
この漢字は、いまだ熟しきっていない「成長段階の植物」を表わしていることになる。

こんな風に、干支には動物の側面と植物の側面とで
万物の動きを表わしている。

動物の「羊」は日本では、あまり馴染みがある動物ではないが、
中国では、太古より、貴重な動物として扱われていたようだ。
それがよくわかるのは、「羊」が使われている漢字。
挙げてみれば、
『養』『善』『美』『義』など、いい言葉に使われている。
実際に、その肉が滋養ともなったので『養』の文字となったと言える頭髮護理
また、「羊」と言えば、
性格的におとなしく扱いやすい従順な動物として表現される。
そういったところから、
その精神性を表わす『善』『美』『義』に使われることになったと言っていいだろう。
洋の東西を問わず羊の評価は高い。
『聖書』の中でも、「おお、見よ、神の子羊」などという言い回しがある。
動物の中でも、かなり信頼を得るような位置にあると言える。

ただ、未(ひつじ)年の相場や社会現象は、決して従順ではなく、
波乱の年となるのがキマリ。

この未年を喩えるならば、『羊の皮を被った”オオカミ”』
といったところのようだ。


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posted by ligfsorg at 15:54| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2014年11月28日

農副産物の生産販

衛星よりも重い衛星であったなども知らなかった。
中国が毛沢東への個人崇拝の下、大躍進の失敗、一時的毛沢東の後退、個人崇拝を梃子に文化大革命で中国を混迷に陥れ、1921年共産党結成以来、中国革命を共に戦った「老同志」達を党内闘争で切り捨て、世界から半ば見捨てられた状況にあっても、核兵器を開発し地上実験を繰り返し、長距離弾道弾を開発、そして有人衛星ロケット開発を続けていた。
文革中にも中国の核実験が報道された。あの文革の混乱の中、確実に核実験を繰り返していることに違和感があったが、そんな中国における科学と思想の二律背反的な現象も報道されることはなかった。
1976年9月、毛沢東の死後、鄧小平が復活してからも長征ロケット発展が進められ、商業衛星打ち上げも活発化し、海外の衛星も打ちあげるようになり、ロプノールで最後の大気圏内核実験(1980)が行われた。そんな中国を貧しい社会主義国、そして1989年の東西冷戦が終結し、次いでソ連邦の崩壊は社会主義の発展限界と受止め、冷戦の緊張の喪失は世界にアメリカ一国覇権体制が安全弁という奇妙な楽天主義が蔓延し始めていた。
自壊とも云えるソ連邦の崩壊は、社会主義体制への警戒心が急速に衰え、日本や欧米では中国の13億人を、安価な労働力、「来科加工」「進料加工」の投資先などの新たな市場とみる様になる。
陳雲ら保守派は、鄧小平が進める改革開放政策に危機感を抱き、そうした動向は新植民地主義に繋がるとみていた。
それに対する鄧小平の戦略は、経済建設と国防建設とをリンクさせることであった。鄧小平は80年、国防費削減に伴い人民解放軍に営利性生産経営活動を始め、軍需産業だけではなく、農副産物の生産販売を行い、民需生産によって予算外収入を拡大させることでフォローした。84年には軍の営利性生産経営活動が本格化して89年の軍の利潤総額は84年の7倍まで増大した。軍関連企業は2万とも云われ雇用数は200万人に達した。
当時、中国中に走り回る「重慶」(50cc軽バイク)は重慶にある軍関連工場で生産されたものだった。moonlight kier's Blog moongilr-space orangdjieのblog jiserew的個人空間 jiserew
posted by ligfsorg at 12:39| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

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